人の幸せを祈る
 
「日常イズム」こそ超飛躍のカギ

 


               photo 映画『ベスト・キッド』のワンシーン 文,kohsi

この講座のメインコンセプトは全てのページの上にある。「人の幸せを祈る」です。

そして、第2のコンセプトは、「日常イズム」です。

この2つが、全ての項に貫通しているビジョンです。
 

さて、2010年8月公開の映画ですが、「ベスト・キッド」という映画は象徴的な映画でした。

服をいつも脱ぎ捨てる、だらしない少年ドレが、カンフーを師匠から学ぶわけですが、

まず、その訓練が

服をハンガーに「掛ける→取る→着る→脱ぐ→掛ける→取る・・・・・」(上部画像がそのシーン)

を延々と、何日も何日も繰り返させられる。すると、

少年「いい加減にしてよ〜一体いつになったら」

となる。そこで師匠が始めて少年と仮試合のようなシーンに・・・

何と、その時、あの「掛ける→取る→着る・・・・」の所作がカンフーの所作に活かされている事

を少年は、身を持って実感するのです。そこから様々な訓練が始まります。

これは映画の1面ですが、ここには、いろいろなメッセージが込められています。

  ・日常の生活も整わずにカンフーなど訓練するに値しない。

  ・日常の所作を極めれば、自ずとカンフーの達人にもなれる。

つまり、日常の所作が全てに通じている。という事です。

私たちはとかく、生活の全てをズタズタに分解して、とらえています。

掃除も洗濯も仕事も遊びもスポーツもそれぞれが孤立しており、

仕事が終われば「あ〜終わった!終わった!」と少しハイになり、好きな事をし、

朝には、「また始まる〜」とトーンが落ち・・・・

といった具合です。

ですから、ストレスを溜めては発散し、また溜めては発散し・・・・

を毎日・毎週、繰り返すのです。こうして一生が終わります。

これが、生活のピースをバラバラに解釈している人の特長であり・生き様です。

しかし、人生の達人は、一見バラバラのようなピースが、一連の繋がりがあるものとして、

とらえるクセを持っています。

そういう発想を無意識のうちにしてしまうのです。するとどうなるかというと、

一見、望まないことをしていても

「どうしてこれをさせられているの? どんな意味があるの?」

を頭の中で、問うのです。

これが超飛躍のカギであり、成功の秘訣です。

私事で恐縮ですが、私もこれに似た経験をしたことがあります。

他項「すべき事に感謝すると因果の解消が急加速する」に詳しく記しましたので改めて読んで

欲しいと思いますが、要約すると、何年も車の掃除をさせられていると

「なぜオレが・・・」に始まり、「あ〜オレの人生において、どういう意味があるんだろう」、

そして

「車のチリって己の心のチリだ!あ〜それを除いているんだ〜」

そう思った途端に環境が一変してしまった訳です。

これは単なる人生の処世術ではありません。因果の仕組みです。

表のピースが一見バラバラでも、裏の因果ではバッチリ、パターンを持って繋がっている

ということです。

このパターンを見抜けば、全ての応用が利くようになります。

 

一見、不本意な事にたずさわっていたとしても、

そこを避けては通れないから現れているのです。そこに気づくが否かです。

 気づけば、必ず具体的なヒントがどこかに隠れていることに気づくようになっています。

ですから、日常の所作・出来事を、決して軽んじない事です。

そして、一端、距離を置いて覚めて見つめ、パターンを見抜くのです。

 ・ ベストキッドの少年ドレの場合は、帰ったら「服を脱ぎ捨てる」がパターンだったわけです。
       ↓

 ・ 自ら気づいて、自ら改良すべきところを一向に変えない。
       ↓

 ・ 何度か、母親のカミナリが落ちる
       ↓

 ・それでも変えず、悪しき因果が積み重なる
       ↓

 ・そして最後に、師とめぐり逢い、辛酸をなめ、努力をしながらも、

          ようやくその悪しきパターンから抜け出るのです。
       ↓

 ・最後にカンフーのチャンピオンとなります。

大切なのは、ここです。個々が持ち前の「悪しきパターンに気づき→脱する」ならば

それがトリガーとなって、予想もしない飛躍的な発展・成長、因果の急展開があるということです。

足を引っ張っているものがあるから飛躍できない。

じゃあ、足を引っ張っているものは何か?

というと、それは日常生活の中にパターンとして潜(もぐ)り込んでいるのです。

「灯台もと暗し」でここが見えないから、堂々巡りとなるのです。

「何か悪い霊がついているんじゃないか?」とか

「あの親のせいで・・・・・」とか

「あいつのせいで・・・」

と、理由を他に着せます。違います。すべて「あなた」のせいです。

悪い霊も「あなた」が根っこで、寄せているだけです。理由もなく憑(つ)きません。

悪しきパターン(因果)に限って見えにくいところで棲息しようとするので

「気づきにくい、気づいても変えれない」となります。

この講座で掲げている

「あいさつ・靴揃え・そうじ」は、

「小学生じゃあるまいし、 いまさら挨拶せよ?  いまさら靴をそろえろ? 

 いまさら・・・ イマサラ・・・・」でしょうが、

この3項は、日常の悪しき因果・裏パターンを気づかせてもくれる、大きなファクターとなります。

ここに力点を置き、生活の節目としていくことで、日常の気づきや心の補正が効くようになります。

 

改めて自覚するべきです、日常の「アタリマエやイマサラ」の中に全宇宙が封印されています。

ここを軽視するから、ストレスを溜め→発散→溜め→発散を繰り返し、

終わることなくリインカネーション(輪廻)し、歯車のような人生となるのです。

どうぞ、あらためて「日常イズム」の大切さを実感して下さい。

そして、今、あなたの目の前にある、すべき事に、影のパターンをたずねながらも、

心を込めて取り組んで下さい。この「日常イズム」が超飛躍の突破口になります。

これが「運を開く」ということです。決して、グッズや置物やお守りやパワースポットや除霊や・・・・・・

そういう他力では絶対に開きません。宜しくお願いします。


追記(2011.8.11)

 

先日、宮崎のSさんから、

「サイトにある通り、靴揃えを強要もせずに淡々と実践していたら、

 子どもが靴を揃えるようになったんですよ〜」

と、ご報告を受け、私も大変嬉しく思いました。

Sさんは、「くつそろえ」を2007年にサイトにUP(靴をそろえると、気が整列する)してから、

特に、「靴そろえ」は、強要してはならない」の項も合わせて実践した、とのこと。

普段の感覚では

「子どもがくつをそろえた? ふ〜ん だから、どうしたんだよ〜」

でしょうが、その子には、いろいろと悩まされ、相談を受けた事もありました。

Sさんは、悩まされる子ではあっても、毎日毎日、脱ぎ捨てられた子どものくつを揃えながら

「ケガしませんように、幸せになりますように・・・・」と心を込め続けていったのです。

それだけに、

「子どもがくつをそろえた・・・・」

ということの歓びは大きなものだったのです。

ここに、「アタリマエの日常生活に心を込めて生きる人」の醍醐味があります。

時間をかけるほど、心を込めるほどに、その手応えがあると、歓びは、その分だけ・・・

ではなく、相乗します。

そして、Sさん個人の歓びは、必ず良き因果の種として家族に撒(ま)かれます。

1回の「くつそろえ」が1粒の種となって撒かれます。

それが、子どもの将来や結婚、奥さんの幸福感、年寄りの健康・・・・・、と

意外なところで、別の形で、芽吹き→成長し→花開き、多くの種をまき散らします。

これこそが、開運本によくある「一瞬にして・・・・、〜〜で100倍」の世界です。

 

人間は、こうして魂の宿り木として、肉体を頂き、この限られた寿命の肉体があるから

食べなければならず、働かなければならず、着なければならず、寝なければならず・・・・

と、こういう日々の生活が成り立っています。

日常生活は、一見、淡々と過ぎ去っていき、誰もが同じように老いていくように見えて、

瞬々刻々、実は全宇宙と共鳴し合いながら、ダイナミズムに躍動している日々だという事です。

そして、人生は、限られた期間ではあれ、補正のチャンスを頂いているということです。

 

Sさんは、今日も明日も、雨の日も風の日も、この種を撒き続けるのでしょう。

 

 

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