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「靴そろえ」は、強要してはならない
 

 

安部浩之作品NO,070327
                                             文,Kohsi

 

不思議と、靴を揃え始めるといろんな現象が始まります。

多くの方から、

靴をそろえると、気が整列する」で紹介したPDFデータをプリントして玄関に貼ると

家族が靴を揃えるようになった。

と、感謝のお手紙・メールをいくつか頂きました。

また、ある20代の青年が会社の研修会で、1人で100名近いスリッパを揃えていたら上司が

「めずらしヤツだ」

と褒められたと、予想もしない結果や評価を頂けた、と、本当に嬉しい報告です。

このような効果が現れると、どうしても人に強要したくなるものです。「靴をそろえなさい !・・・」と

しかし、強要したものは、万一、うまく伝わっても、その時だけで、決して長く続かないのです。

2人の小さいお子様(小1・小4)を持つお母さんの話しですが

そのお母さんが、私の話を聞いてくれ、ただ黙々と「靴そろえ」を始めるようになりました。

ほぼ、1ヶ月過ぎた頃、報告を受けました。

 

「1日に何度も、子供・ご主人の靴をそろえ続けたけど、やっぱりダメですよウチは・・・

子供は、靴揃えないどころじゃない、アッチコッチ投げ散らかす、という感じなんですよ、

昨日は、私が玄関にしゃがんで、靴を揃えていると、

バタバタと帰ってきて、その横でバラバラにぬいで知らん顔ですよ〜

カーッとなり、つい「靴そそろえなさい」とキツク言いました。ハハハッ

なんかね〜、主人なんか、靴揃えはママの仕事と思ってるみたい」

 

聞くと、このお母さん

毎日が、「起きなさい」に始まり、勉強しなさい・着替えなさい・早く食べなさい・片づけなさい・・

そして、「早く寝なさい」で1日が終わる、「靴どころじゃないのよ〜」と

子育ては、時として、有無も言わせず規律を押しつけなければならない時もあります。しかし、基本は、

あくまでも本人がキチンと理解して、自らの行動として生活を管理していかなければならない。

強要は、その時は早いのですが、結局、この流れの回路を、瞬時にストップさせてしまうのです。

いわゆる、「生活が、指示されて動く」という感覚に無意識にシフトしてしまうのです。

これが定着してしまうと

 

  ・散らかっていることに気づかない

  ・会社では、指示されたことしか動かない

  ・マニュアルは遂行するが、企画が出来ない

  ・問題は解けるが、問題を見つけようとしない

 

という人が増えてくる。散らかっていようが片づいていようが、関係ない、体は指示されて、始めて動くの

ですから・・・、そこで、このお母さんにシビアな事を言いました

 

  「子供の行動はお母さん行動そのものですよ、あなたの指示体質が創り出したんです。

  靴を揃えながら、心の中は、

  「私の姿を見て靴を揃えなさい」

  で一杯ですよね

 

それだけ言うと、眉をひそめ、イヤーなクラーイ顔をし、「あっ、もう時間だ」と帰ってしまいました。

もう来ないかもしれないと思いました。しかし、それから、数週間たって、またそのお母さんから電話です。

 

     ・母親「上の子が、今日靴揃えました。」

     ・ 私  「えーっ、そうですか、よかったですね〜」

     ・母親「そうなんですよ、始めてですよ、言ってくれた通りでした。」

     ・ 私 「・・・?・・・どういう事ですか?」

     ・母親「ホラホラ、私に 「靴揃えしないのは私のせいだ」 とか言ったでしょ」

     ・ 私 「あー ・・・」

     ・母親「私、ムッとしたんです。それから、よく考えたら、その通り。

           靴を揃えながら、子供には「靴揃えなさい」で頭の中は、一杯でした。

           だから、もう、子供はどうでもイイや、私の実践として「靴をそろえよう」

           と、そしたら、上の子が揃えたんですよ〜、ズッと知らん顔だったのに・・・

           なんで〜って感じです。」

 

私は私なりのヒントを出しただけで、このお母さんが、自ら気づいてくれました。

そして実践してくれた事をとても嬉しく思いました。これはもう、「些細な家族の一出来事」ではなく、

これこそ、この「家庭の大事(だいじ)」です。靴を揃えただけの事ではありません。

その行動の裏には、「母さんを見て、僕も・・・」という「自ら」が生まれたのです。この家族ではじめて、

心の転換が起こったのです。母親自身の心が、伝播して家族を揺さぶったのです。

  誰がどうしようが、誰が見ようが見まいが、

  いつも、

  真っすぐな自分の心・真っすぐな自分の行いが、ゆらぎを生む

のです。このゆらぎとは影響力のことです。強制ではない、本当の影響力が発動するのです。

ここに「新気」が生まれ「伝播」が成立したのです。何度も繰り返しになりますが、

「靴揃え」は、

  ・その方が格好がイイから・・・   ・その方が美しいから・・・・

というのを超えています。

  ・自身の心根が問われる

  ・家族の自主性を育てる

  ・規律性を育てる

  ・献身的精神を養う

  ・自己管理能力を養う

こういうところにまで射程にしているのです。

たかだか「靴揃え」と考えないで下さい。1点に誠意を込めれば、他が連動して動き出すのです。

生活の一時が、実は多くの因果に通じるコードを有し、精神性を高めるのです。

                        ※

以上は、この文章をサイトアップした当時2007年の出来事でした。

引っ越しされて音信不通でしたが、4年ぶり、とても嬉しいメールを頂きました。

  「 ご無沙汰しています。

     (中略)

   あの後、靴そろえは思ったほど簡単な事ではありませんでした。

   1年はかかったかと思います。1年かかってやっと子ども達も揃えるようになったかな?。

   という感じでした。

   それよりも、思うのは、あの「靴そろえ」が私の子育てを変えました。

   あの時「私のせいだ・・・」には、正直言うと不快でした、しかし、私は

   「指示したってダメだ、自分が変わると本当の影響力が生まれるんだ」ということを、実感しました。

   それから私は、日常生活のいろんな事、台所仕事や掃除に、そして子育てに

   「どんな気持ちで、取り組んでるんだろう」

   と自問自答する事が多かったのです。いつもサイトも見ながら参考にさせて頂いています。

   まだまだですが、今、キレイに並んだ玄関の靴を見る度に当時を思い起こしています。(後略)

 

以上です。どうぞ皆さんも、靴を揃える時の自身の「心根(こころね)」を問うて下さい。

それは、きっと、生き方のシフトをも変えるくらい大きな意味を持っているのです。

宜しくお願いします。

  

 

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