人の幸せを祈る
 
 人の役に立っているか?
 

安部浩之作品no,100102
                                                                                    文・phot,Kohsi

 

混在する生命現象と愛の関係」でも記しましたが、

この地球は、富める者、強い者、弱い者、賢い者・・・・と実に多くのタイプの人で構成され、

動植物も鉱物も有機・無機を問わず多品種で構成されています。

それは、この物理空間で異質が「愛」というファクターをもって新境地を産み出す事が問われる

空間だということです。

つまり、人と人が、どう寄り添い、どう影響し合うかが問われている空間と言ってもよいでしょう。

この基本を了解していれば、「幸せ」というものは、人との係わり合いの中で成立し、

人の役に立つことで始めて叶うものだということが解ってきます。決して自分一人の幸福というもの

が独立してあるわけではありません。

生涯を最も貧困な人に尽くしきった、マザー・テレサは、その事を身をもって実践した1人でしょう。

有名な

「愛という言葉の反対語は、無関心です。無関心であるということは、

                      愛がないということと同じです。」

「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。

             誰からも自分が必要とされていないと感じることです。」

はじめ

「自分にある最高のものを世に与えて損をするかも知れません。

                  それでも、自分の最高のものを世に与えましょう。」

「富に執着している人、そのために気苦労の絶えない人は、じつはとても貧しいのです。

         富を他のために用いるとき、そのひとはとても豊かになります。」

全て、「人の役にたつ」を軸として身を挺し、実践・体験したしたからこそ産み出された崇高な言葉

です。幸せとは「豊かな心」が産み出すものであり、「豊かな心」とは、

人の役に立つ事で始めて成立するのです。

先の項(「自分幸福主義という魔物」)で、「命の軸」を差し替えよう!と提案しましたが、

この「人の役に立っているか?」という軸は、新たなステージの入口となるものです。

 

人の幸せを願う(願い)と、必然的に、人は人の役に立ち(実践)たくなります。

古来仏教では、聞慧・思慧・修慧の三つが大切だと言います。

 ・聞慧は、師から教えを聞くこと、また本を読むこと、

 ・思慧は、学んだことをよく考えて理解すること

 ・修慧は、学んだことを実践すること

です。この文章を読んで「人の役に立つ」ということが理解(聞慧)できたあなたは、

自分の生活に照らしあわせて、そのことを、よくよく考えて下さい。(思慧)

そして、その学びを日々の行動として、どう展開していくか?(修慧)

それが出来て、はじめて完結していくのです。

難しく考えなくても、日常生活は「役に立つ」チャンスに満ちあふれています。

家族に

「ティッシュ、取って〜」

「え〜、何で〜、今テレビ見てるのに〜、自分で取れば〜、そっちの方が近いじゃない」

ではなく

「はいはい、手が汚れたんだ」

でサッと取ってあげる。

すると、あなたは、家族が手をキレイにする、そのお手伝いが出来、役に立った。

家族に

「灯油、切れちゃった、入れてきて〜」

「え〜、寒い〜、も〜」

で、イヤイヤではなく

「そうか、もっと早く気づけば良かったな〜」

でサッと入れてくる。

すると、あなたは、家族が暖かさに心を和ます、そのお手伝いが出来、役に立った。

家族に

「お風呂の掃除してきて〜」

「え〜、僕の当番だったかな?」

で、イヤイヤではなく

「はーい」、でセッセと風呂掃除

すると、あなたは、家族が体を清める、そのお手伝いが出来、役に立った。

家庭生活は実は、完成度の高い、道場のようなものです。

こんな、些細な行動が積まれ積まれて、豊かな人格を形成していくのです。

日常の些細な積み重ねが大切です。ここに「充足感」と「幸福」が宿り、

そういう思考の習慣が身についてくるのです。身につくと周りに影響を及ぼすようになります。

大人がまず、その習慣を身につけ、無言の影響力を持つことです。

無言の影響力に至っていないから、「やれと言ったらやれ」と強引な強制規則を作り始めるのです。

先ほどの例で言えば

お風呂の掃除当番を決めなければならなくなる。月曜日は誰、火曜日は誰・・・・・

当然、「人の役に立とう」という「心」が育っていないから、

「昨日は、1日ずれて、オレが掃除したから、今日はお前じゃないか!」

とケンカが始まる。助け合いの為の規則が、あろうことか争いの種を創りだしている。

その感性が、学校や社会で水平展開していくのです。

どうぞ「他の役に立っているか?実践しているか?」を、まず自身の日常生活で展開して下さい。

周りを責める前に、実践し影響力のない己を恥じるべきです。

宜しくお願いします。
 

 

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