人の幸せを祈る
 
 自分幸福主義という魔物
 

安部浩之作品no,091231
                                                                                    文,Kohsi

 

「お金は、巡(めぐ)り物です。良く使えば何倍にもなって返ってくるものなのです。

    だから、お金は使い方が大切、人の幸せのために使えばイイのです。」

 

一見、素晴らしい言葉のようではある。しかし、ここに大きな落とし穴がある。

巡ってくる金が欲しいには変わりはなく、さらに、ここには欺瞞が付加されている。

最近では、掃除や感謝や「ありがとう」という言葉まで持ち込んで、

巡り巡る、己の幸せを追っていく。

ついに、これに便乗して、出版魂を骨抜きにされゼニ儲けに邁進している出版業界が

「魔法・・・」を冠につけ、また、ひと儲けする。

この自分幸福主義は、教育の現場においても蔓延し、美談かのごとく語られる

「誰のためでもない、自分自身の為の勉強だ」と、

また、精神世界においても

「自分の幸せのため、それでイイんです」

とサラリと言ってのけ、聞くものは「ホッ」とまやかしの安堵に酔いしれる。

ついに、自分幸福主義は、神までも利用するに至った。不本意にも、宗教の大半がその役を担った。

こうして、

  一見、美談が蔓延し、人は魔物に取り憑かれていく。

  一見、美談だから、気がつかない。

  一見、美談だから、心を奪われ、とりこになる。

  一見、美談だから、やすやすと抜け出れない。

  一見、美談だから、連鎖する。

  一見、美談だから・・・・

こうして、この自分幸福主義という魔物は正体をバカでかくする。

人は、この愚行に早く気づかなければならない。全く逆でなければならない。

自分の為ではない。

何の見返りもなく、「人の幸せのため」に撤しなければならない。

その時、何が問われるのか?

人の役にたっているか?

である。

この時こそ、本当の神意に満ちた「巡り」が成り立つ。この巡りこそ天恵である。

だから

  人の役に立つために、生きているのだ!

  人の役に立つために、勉強するんだ!

  人の役に立つために、精神世界があるのだ!

  人生というのは、人の役に立ってナンボの世界なんだ!

そう言ってのけなければならない。

最近、うたい文句のように言われる「共存・共栄・共生」

という言葉も、皆が「自分の為・・・」に邁進したら成立しない。

「人の役に立つ」という発想の上にこそ成立するのだ。

この志しを持った人は、一見、どんなに不孝のように見えても、光り輝くのである。

 娘・息子の為に、ひたすら身を粉にして仕事をしている人

 妻の幸せの為に、自分のやりたいことは差し置いて働いている人

 ホームレスの人に、誠心誠意お世話をしている人

深い哲理は何も知らなくても、「人の役に立とう、と為に生きる人」は、生を全うして生きている。

輝いている人、というのは、お金を持って、オシャレな服を着て、自分の夢を実現した人

の事ではない。

お金はなくても、粗末な服を着ていても、人の役に立とうと、一所懸命の人の事を言うだ。

 

今、命の軸を差し替えるのだ。

「自分の幸せのため」という軸から、「人の役に立つ」という軸に・・・

その時、あなたは、もっとスマートに、もっと穏やかな境地に満たされるのだ。

それは、比較の世界から解き放たれるからだ。

福が戻ってこようがきまいが関係ない、人の役に立って、

それを喜んでくれたなら私はそれでいいんだ、と

「それが私の、誇りある人生だ」と。

ここを間違えないで下さい。宜しくお願いします。

 

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