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  流動的教育を目指す  

 

             
                         文Phot,kohsi

戦後日本は、官民あげて、一極集中主義を貫きました。

なぜなら、そのスタイルが、全てを規格化し大量生産社会に適していたからです。

情報の東京一極集中しかり、文部省を軸とする集中主義しかりです。

そのスタイルは経済発展に向けては、言うまでもなく大きく貢献しましたが、

没個性・横並び主義など人間教育という面では失策でした。

そのような反省から、最近では、民間人を含めた審議会・協議会等が盛んです。

数年前の臨時教育審議会以来、なるほどという答申が出ています。

また、教育論においても、従来型のピアジェの認知教育論を脱却して

京都大学 鯨岡峻(くじらおかたかし)氏(※下記)の関係論など

注目に値する様々な教育論が展開しつつあります。 

これにしたがって、文部科学省も全国に向けて旗振りをする訳ですが、

しかし、実態として現場がついていっていない。

というのが実情です。

その理由は、学校体制の問題・教員の質の問題・予算の問題等幾つかあります。

詳細は、ここでは割愛しますが、結局

一極集中主義を脱却し、個に応じる教育に移行するということであり、

最後には、教師の力量こそが問われる時代に入るということです。

個に応じるとは、「マニュアル」や「従来型の一括した教育評価」が通用しないという事態に

突入するのです。

この事態は文部科学省・教育委員会にとっては不都合を生みます。

教育成果が解らない、また管理統制できなくなる、という事態を生むからです。

それでイイのです。管理統制する必要は無いのです。

そもそも人間も物質も本来は、フリーでランダムな存在であるにも係わらず、

そこに枠づけをしようとするから妙な誤差が生じてしまうのです。

それだけに、よい教育か否かは、畢竟、教師の教育力いかんによるということになります。

・・・・・・・

さらに、教育力とは、他項「教育力とは、愛力である !!」で述べたとおりですが、

教師の生き様そのものが、指導に滲(にじ)むということになるのです。

 ・職種・給与が安定している。倒産することはない。

 ・休みが多い

というような短絡な発想では、生徒を犠牲にするだけです。

人間とは何なのか、何のために生きているのか?

を本気で考え、指導に命を尽くす教師こそが求められるのです。

そのような意味からも本講座は幾つかの示唆を提示できるのではないかと考えています。

是非とも、教育関係の方は、一読頂きたいと願います。

よろしくお願いします。

 

※ 鯨岡峻(くじらおかたかし)氏 1943年生まれ。1970年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。京都大学博士(文学)。現在京都大学大学院人間・環境学研究科教授。 氏の主唱する「関係発達論」は現教育界では最も質の高い教育論であると判断する。(安部浩之)
(主著)
「原初的コミュニケーションの諸相」「両義性の発達心理学」「関係発達論の構築」「関係発達論の展開」「養護学校は、いま(編)」「保育を支える発達心理学(共著)」「よくわかる保育心理学(共著)」「ひとがひとをわかるということ−間主観性と相互主体性−」(いずれもミネルヴァ書房)、「<育てられる者>から<育てる者>へ」(NHKブックス)、「自閉症の関係発達臨床(共編)」(日本評論社)、「エピソード記述入門」(東京大学出版会)

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