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今こそ、スピリチュアル系を見極める智慧を  

 

安部浩之作品No,07326

 

次元は重層構造になっている

魂は永遠です。魂は時空を超えています。

肉体という器(うつわ)を脱ぎ捨てた後も、魂は、生前の想念波動のままに存在します。

  ・生前、生活に窮するほどお金がなくても、

   愛と眞を尽くして生活した御霊は、高い世界で生活をし、次元を超えて行き来していますし、

  ・生前、物に恵まれ栄耀栄華を尽くしても、

   愛と眞がない生活をした御霊は、一般に地獄と言われる世界で、魂は縛られています。

だからといって、天国という世界、地獄という世界が、先にある訳ではありません。

人間の想念波動が、自ら、そのような世界を創出しているということです。

限りない想念波動の種類・レベルの分だけ、そういう世界なり法則を創りだしているということです。

結果として、霊(あの世)については、1口では語れないほど複雑な世界・仕組みがあり、

この世の3次元思考エリアでは、とうてい網羅しきれないのです。

それは、次元が重層的にからんでいるからです。3次元の裏に4次元が絡(から)み、

4次元の裏の八方位に5次元・7次元の世界がリンクし、さらに、多層次元の往来には、

  ・求心・遠心のバランスが必要であり、 ・絶妙な回転力が必要であり            

  ・内に向かうエネルギー転換の法が必要であり

  ・反次元と真次元、そして主体を含めた三つ巴の相乗事象の法が必要であり

と、決して単純な世界ではないのです。

 

霊にどう接するか

かつて、インドでは苦行を軸とし超能力開発全盛のバラモン教の時代がありました。

釈迦はそういう時代に、この複雑かつ精妙な世界を菩提樹の下で悟り、

「次元を重層する因果の理は、とうてい地上の人には語り尽くせるものではない」

と悟ったのです。そこで自らの涅槃を覚悟、その時、現れたのが梵天王(ブラーフマン)です。

「世界に教えを説くまで、涅槃に入るのを思いとどまり、世界に教えを説くよう」

釈迦に懇願されたのです。

釈迦は梵天王の熱意に打たれて、衆生に対する慈悲心を発現し、説法に踏み切ります。

これを一般に「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」と言っています。

そこから生まれたのが四諦八正道といわれる実生活に根付いた仏教の根幹となる教えです。

ここで大切なことは、

決して、バラモンのように苦行によって霊能を磨く、霊界を解明する、というような方向ではない

のです。

生活の1つ1つを法理法則に従って正していく(戒律の発生)。

ということだったのです。

また、キリストも同様です。

霊能を見せなければ「信」に至らない人の心を憂いたのです。

なぜなら、安易に重層的に絡んだ次元の理を語ることによる誤差と

人のエゴの助長を心得ていたのです。

 

ところが、現代はあまりに安易に霊の世界を感得しただけで、

 ・人の背後を言い当ててみたり、 ・オーラと称して気の色調を言い当ててみたり、

 ・さまざまなセッションと称した遠隔操作をしてみたり、 ・結界をはってみたり

 ・チャネリング情報をそのまま、地球人に紹介したり

が、節操なく横行しているのです。

ここには、とても危険な要素があるのです。その理由として2つ

1つは、多次元の境界(あの世のルール)を崩壊させてしまう。

  3次元以上の世界はランクアップするほどに、粒子の微細な世界です。

  こちらの粗い想念波で強引に、呼び寄せる、踏み込むという行為により

  トータルなバランス・宇宙法則により成立していた境界軌道をベータ崩壊させ、

  予期しないカルマとなる因縁を残してしまう。

2つは、地上人が己のエゴへの気づきを失い、さらに助長させてしまう。

  我こそは・・・・という命の根元的問題を克服するどころか、

  エゴとなる「我よし」の想念波をそのまま残し

  「我が人生・・・、我が幸せ・・・、我が仕事・・・・」

  と「我のみよし」の連鎖を霊界を巻き込んで相乗増幅させてしまう。ということです。

つまり、あの世に踏み込んだのであれば、

おごそかに責任を持ってその境界を修復しなければならないのです。

解りやすい例で言えば、先に記した、「結界をはる」という行為

これは、安易に行ってはならないものの1つです。

「結界」とはいわば、光の霊線となる境界を創り出す行為で、

結界内は良しとしても、結界外には、逆に、救いを求めてやまない悪鬼・悪霊が吸い寄せられてきます。

したがって、最後には吸い寄せられた悪霊関係をも上昇させる覚悟と能力を持って始めて成立する

行為なのです。

しかしながら、実際は、その理が感得できずに「結界」を、はりっぱなしにして、

サヨウナラというレベルの霊能者があまりに多いのです。

その結果、多層次元世界の軌道はズタズタに切り裂かれ、それによる負荷が地球のどこかで、

異常な犯罪や天変地異として必ず現出することになります。

つまり、

あの世まで巻き込んで、エゴを助長させた時、それは引き戻しようのない滝壺に向かわざるを得ない

のです。

それにもまして大切なことは、本講座を一貫して流れている思想ですが

何故に、混在の地球次元が発生しているのか?

ということです。

これについては、改めて1章を精読いただきたいと思いますが、

3点の法則に示す通り、「現在」を杖点として、「過去」・「未来」という定点はコントロールされるという

ことです。

もっとわかりやすく表現すれば、

 ・夫が妻を、妻が夫を、親が子を、子が親を思いやる。

 ・我が子のみならず、次代を担う世界の子供達に無私・無為の心で愛情を注ぐ。

 ・天地自然の理・情を見て、我が行いを自省する。

このように慈愛創造力に満ち、生活の一挙手一投足を整えていくことで、

霊能者でなくとも、過去の因縁が整合され、何の負荷も生まずに「未来」へ向かって正常化するとい

うことです。そう言う意味では、「現在」はコントローラーのような位置にあるとも言えます。

 

さて、タイトルのスピリチュアル系についてですが

この世界ほど、本物・ホンモノといいニセモノに満ちた世界はありません。

そういう意味では、真のホンモノを見抜く力が求められるのでしょう。

しかし、ここまで読まれて、既にそれは複雑・難解な世界であることは理解いただけたと思います。

では、どうすればいいのか?

判断基準として、その事が真実か否かという発想の前に、

「慈愛と創造力に満ちた生活をする為に、

    今の私にとって、何が必要で、何が不必要か?

という新機軸の発想を導入することです。

そして、必要なものを自己が受け入れる

するとそこに内性としてリンクするものが必ずあるのです。

 

人は千差万別、十人十色の環境の中で生活しています。情報の質も量も違います。

しかし、すべてが縁起の法に従って発生し、

その人にとって、解決出来ない問題は発生しないように出来ているのです。

だからこそ、地上に肉体と魂をもって成立できたのです。

全ての人にとって、必要な物は既に身近に設定されている、

ということです。

とすると、それはスピリチュアル系の本ではなく

 ・子供の1言かもしれません。

 ・親が何度も何度も繰り返している説教かもしれません。

 ・ちょっとした夫・妻のしぐさかもしれません。

 ・小鳥のさえずりかもしれません。

そして、それこそがあなたにとって、かけがえのないスピリチュアルメッセージなのです。

 

愚者は、我欲にまみれ、真実を求め

                     賢者は、我欲をなくし、おのずと真実に巡る

 

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