人の幸せを祈る
 

天意主導で 「人の幸せを祈る」

安部浩之作品No.080903
文・phot,Kohsi  
(趣旨、天意なる下降光、祈りの上昇光)

具体的に、身近な人から、その「人の幸せを願う」という事を基本とすると、

対象者を知っているだけに、具体的に顔を浮かべ、心を込めやすくなります。

これは、とても良いことです。ここから始まれば、意識も次第に広がり、世界の平和に通じます。

また、自分の利益ではなく他人の益を願うわけですから、そこには1点の邪気も籠もりません。

しかし、1つだけ注意しなければならない事があります。

それは、あなたが具体的に願う、「人の幸せの姿」が、

決して「天の願う幸せ」とは一致しないかもしれない。ということです。

具体的な祈りをするほどにその危険性は高くなります。

1つの事例で紹介します。

以前、私はある男性から、付き合っている女性と、まだまだ、不安定ではあるが、

いよいよ結婚になりそうだ、という歓びの報告を受けました。

その時、もし、私が

     「彼は彼女が大好きで結婚を望んでいます。お二人が無事、結ばれるよう

                              どうぞ最後まで導いてあげて下さい。」

「人の幸せを祈る」という意味では素晴らしいでしょう、

念が強ければ、その祈りは、「波長律の法則」で加速力をつけさせるでしょう。

しかし、これは人間の欲望を中心にしていますから、

後になってカルマ(業)を産み出す可能性がある、ということです。

ですから、一見、無慈悲なように感じられるかもしれませんが、ここは次のように祈る方が良いのです。

     「彼は今、結婚を前にしています。とても大切な時です。

                どうぞ、彼が幸せになりますよう、天の望む道へお導き下さい。」

この祈りは天意を中心にしています。ここが大切です。

天意を軸にしているので、私はお二人の結婚が決定したことを聞いたとき、

人間の欲望だけではない、そこに天のはからいを感じ、天と共に歓びを共有できたのです。

この共有感覚が、お二人に、小難をかき消し・・・、また大難を小難にする回向力を産み出すのです。

この「天意主導の祈り」があってこそ、

祈り事は、時空を超え、見知らぬ世界の人々の祈りに通じるのです。

これなくして、祈りは拡散力を持ちません。

ここを「人の幸せを祈る」、その要諦として自覚して下さい。

 

先日、広島の中村さんからFAXを頂きました。

「生活 即 祈り」というくらいに、溢れんばかりの祈りのご報告に、心から感動致しました。

朝起きて、ボーとして意識がハッキリしていない時から

「今日も生かされ、有り難うございます・・・・」に始まり、

通勤途中では、すれ違う人にも、美容室でも、買い物ではレジの人に、会社にくるセールスの人に・・・

特に、

「・・・あの方の天命が全うされますように・・・」

と必ず付加され、上記した天意を主導しておられる事を本当に嬉しく読みました。

そして、最後に、こう結んでくれました。

    「不思議ですが、最初はあえて言ったりしていましたが、      

     習慣となり無意識に祈る事が出来るようになりました。 

     身近にいる家族の幸せや人様のことを祈りながら、 

     私はなんて幸せなんでしょう、と感謝せずにはおれません。・・・(後略)・・・」

と、まるでお手本のようなご報告に私自身、襟を正さねば・・・と痛感した次第です。

同時に、「人の幸せを祈る」は、自身も輝かせ、かくも他人をも輝かせるのか、と・・・・

本当に、ご報告、有り難うございました。

 

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