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困難を過度する(四方拝)  

 

安部浩之作品No,09217
                   文・Photo,Kohsi

 

天皇が毎年、天地四方と山稜を拝する儀式というものがあります。

それが「四方拝」(その詳細は下記)と言われるものです。

一般に皇室の典礼儀式の内容というものは非公開が原則ですが

『江家次第』(ごうけしだい)
(1111年(天永2)?/朝廷の年中行事やその他儀式などを数十項目に渡り詳細に記した書物。成立以後、有職故実書として珍重された。全21巻で、現存は19巻分) 

という書にその内容が記され、その中に、儀式の呪文が残され公開されています。

公開文献ですから、その呪文の部分を以下に記します。

 

賊冦之中過度我身(賊冦の中、我が身を過し度せよ
ぞくこうしちゅうかどがしん
毒魔之中過度我身(毒魔の中、我が身を過し度せよ
どくましちゅうかどがしん
毒氣之中過度我身(毒氣の中、我が身を過し度せよ
どくけしちゅうかどがしん
毀厄之中過度我身(毀厄の中、我が身を過し度せよ
きやくしちゅうかどがしん
五急六害之中過度我身(五急六害の中、我が身を過し度せよ
ごきゅうろくがいしちゅうかどがしん
五兵六舌之中過度我身(五兵六舌の中、我が身を過し度せよ
ごへいろくぜつしちゅうかどがしん
厭魅之中過度我身(厭魅の中、我が身を過し度せよ
えんみしちゅうかどがしん
萬病除癒、所欲随心、急急如律令。
まんびょうじょゆ しょよくずいしん きゅうきゅうにょりつりょう

 

今回、ここで問題としたいのは、原文中の「過度」という言葉です。

往来の学術研究においては、

一般に道教の常套句的文言として「守りたまえ」の意味として解釈されてきました。

しかし、数ある「守りたまえ」の呪文言の中から何故に、

この「過度」の文言が使用されたのかを理解する必要があります。

しかし、字句を解釈する場合は、

いくら漢字の大御所諸橋大漢和辞典を使ってもズレが生じます。

その語源に詳しい

中国語の古代辞書説文解字経籍餐詁などで確認しなければなりません。

ここでは詳しい解説は省きますが

「過」とは

・すぎる、わたる、よぎる、あまねく

「度」には

・ここでは、悟らせる、という意味です。

つまり、罪障は我が身を通して悟りへ至らしめん

ということです。つまり単純に「罪障から私を守ってください」ということではないのです。

むしろ、罪障を呼び寄せ

悟りへの導きを促す意味が「過度」という呪文には含まれれているということです。

「魔性をはじかない」むしろ

「魔性」にも、憐憫の情を注ぎ、道筋を立ててあげる

魔除けではない、むしろ「魔寄せ」だということです。

「四方拝」はこういう崇高な神事であるのです。

 

  私達の生き方が問われている

私達は、ここを重々、理解し生活を律し、見直していかなければなりません。

 

  ・難事が起こると、安易に限りを尽くして「魔除け」を望む。

  ・ラッキーな人ばかりに合おうとし、おこぼれを頂こうとする。

 

そういう生き方は天が望む生き方ではない、のは勿論ですが、

「この世に生を受けた意味・価値を失ってしまう」ということです。

運気という視点で見ると、真のジャンプは、その前に

必ず負荷がかかるようになっています。

走り幅跳びと同じです。

     ・少しずつ助走をつけ、スピードを出すが

     ・最後の一歩に通常の5〜10倍の負荷が足腰にかかり、

     ・ここに耐えてこそ、大きくジャンプする

のです。この負荷は百人百様です。1人1人、その人の生命因子に応じて、異なった負荷が

程よく、かかるようになっています。

別の視点でみれば、負荷は百人百様だから、多少、他人の力添えがあっても、

本来、自力で負荷から正面に向き合って、努力するしかないのです。

ここで他力に依存してはならないのです。

世に

   ・何をやっても成功する人

   ・何をやっても失敗する人

というのがあります。その差は、何でしょう?

例えば

Aさん、Bさん、Cさんという営業社員がいました。みんなある顧客先でピシャリと断られました。

 

 Aさんは、仲間と飲みに行き、傷をなめ合い、愚痴をこぼし、心機一転、明日に向かいました。

 ・Bさんは、「運気が悪い」と霊能者にところに行き、格が高いといわれる神社に行きました。

 ・Cさんは、なぜ断られたのかを吟味し、より解りやすい資料づくりに夜を徹して励みました。

 

いうまでもなく、負荷に正面から向き合ったCさんが勝者です。天もCさんにしか力が貸せないのです。

一見、Bさんは、愚痴もこぼさず、善良なように見えますが、Aさん以下なのです。

つまり、B→A→Cの順となります。

   ・困難を「魔」として避けるか、

   ・困難を避けずに、時として呼び寄せ、刻苦勉励し、立ち向かうか、

に尽きると言うことです。ぜひ、これまでの負荷を思い起こし、次のステップを進まれて下さい。

それがすなわち、困難の克服であり、「罪障の個人レベルでの過度」になるのです。

宜しくお願いします。

 

 ※ 本項と関連の本サイトページ Message From SHINKAI
 

 

四方拝について
四方拝(しほうはい)とは、宮中で行われる一年最初の儀式で、元旦に、天皇が天地四方と山稜を拝する儀式。「しほうばい」とも言う。天皇が伊勢の皇太神宮・豊受大神に向かって行われる皇室祭祀(さいし)。天皇が清涼殿の東庭に出て、属星(ぞくしょう)・天地四方・山陵を拝し、五穀豊穣・天下太平を祈る。明治以降は神嘉殿で、皇大神宮・豊受大神宮・四方の神々を拝することに改められた。現在は神嘉殿の南座で伊勢皇大神宮・天地四方に拝礼する。
具体的には、大晦日の夜、天皇は体を清め、元日の寅の刻(午前4時ごろ)より準備にはいる。黄櫨染御袍と呼ばれる天皇のみが着ることが出来る特別な装束を着て、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南側の庭に設けられた建物の中に入り、午前五時三十分に開始。伊勢の神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神を拝する。
この時に天皇が拝される神々・天皇陵は伊勢神宮、天神地祇、神武天皇陵・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮である。

●(黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)とは、天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束の袍のことである。この名前は染めてある色名からであり、「黄櫨染」とは黄色の中に赤を混ぜた色で今の黄土色に近い色のことである。820年(弘仁11年)に嵯峨天皇の詔により制定。中国の赭黄袍(しゃこうほう)を起源としている(それ以前の天皇の袍は白色であったと推定されている)。なお中国では隋代以降戎服(唐の常服。日本の朝服に相当するもの。束帯はこれが和様化したもの)に黄色を尊び、唐にいたって赭黄袍を皇帝専用にした。黄櫨染は、天皇以外決して使用することができない色で「絶対禁色」と呼ばれた。真昼の太陽の色を象徴したものでもある。この黄櫨染の袍には「桐」「竹」「鳳凰」「麒麟」の4種類の文様が記されていて、長方形の筥形文となっている。現代では、この四方拝や即位の礼の中での最重要の儀式「正殿の儀」で着用されてい る。日の光があたると太陽のように輝きを増すといわれる。)
江戸時代以降の黄櫨染色 (RGB16進 #d99502)(黄櫨染の事例、ココ(風俗博物館)
      なお、江戸時代以降の黄櫨染と平安時代の黄櫨染の色は異なる

(その歴史)
平安時代初期、宮中を始源とし、これに倣って貴族や庶民の間でも行われ、四方を拝して一年間の豊作と無病息災を祈っていたが、時代を経るごとに宮中行事として残るのみとなった。
平安時代初期の嵯峨天皇の御代に始まったとされているが、儀式として定着したのは宇多天皇の時代とされ、『宇多天皇御記』の寛平2年旧暦元旦が四方拝が行われた最古の記録である。
その後、応仁の乱で一時中断されたが、後土御門天皇の文明7年(1475年)に再興されて以後は孝明天皇に至るまで、京都御所の清涼殿の前庭で行われた。
東庭には3つの座が設けられ、北側には燈台と机が置かれ、机にはお香と花が供えられており、それらを取り囲むように屏風が張り巡らされた。最初の座で拝むのは干支を北斗七星の7つの星に割り振った「属星」で、天皇は北に向かい新年の属星を7回唱える。そして、深く拝動作を2回繰り返す「再拝」に続けて呪文が唱えられる。国家国民の安泰を祈る厄払いの呪文である。続いて天皇は北に向かって天を再拝、次に北西に向かって地を再拝、その後、東・南・西・北の順にそれぞれの方角を再拝。
最後に歴代天皇が葬られている天皇陵に再拝を2回重ねる「両断再拝」をして終了する。
四方拝は明治時代には呪文を唱えなくなったり、拝する神社が追加されるなど、その形を少しづつ変えながらも現在まで脈々と続けられている。
天皇の属星(ぞくしょう:誕生年によって定まるという人間の運命を司る北斗七星のなかの星)、天地四方の神霊や父母の天皇陵などの方向を拝し、その年の国家・国民の安康、豊作などを祈った。
このとき唱える言葉は、「内裏儀式」・「江家次第」に掲載されている。
これらによると、
候屏風外)蔵人取御笏(五位)持式筥蓋、(入内裏儀式、六位以上、検舊記、先雖似可置、近例伺候如此、伺臣取脂燭、六位候仙華門瀧口戸下備非常)入御之間献御笏、閇御屏風、次皇上於拜属星座端笏、北向稱御属星座名字(七遍、此北斗七星也)、子年貪狼星(字司希神子)丑亥巨門星(字貞文子)、寅戌禄存星(字禄会子)、卯酉文曲星(字微恵子)、辰申年廉貞星(字衛不隣子)、巳未年文曲星(字賓大恵子)、午年破軍星(字持大景子)次再拜呪曰(註略)。賊冦之中、過度我身、毒魔之中、過度我身、毒氣之中、過度我身、(内裏儀式在危厄句下)毀悪之中、過度我身(内裏儀式五厄)五兵口舌之中、過度我身(内裏儀式在五厄句上)厭魅呪詛之中、過度我身(内裏儀式無此句)萬病除癒、所欲随心、急急如律令、次於拜天地座、北向有拜天(庶人向乾)、其陽起於子、陰起於未至於戌、五行大義云、士受気於亥云々、以陽氣所起為天、以陰氣所起為地、尤可然、又皇天上帝在此、仍天子北向拜之、庶人不拜天神、又可異一人儀、仍向乾坤拜之耳、次西北向再拜地(庶人向坤)次東向再拜(九条年中行事起子終酉、子是十二神之始、雖非無所据、内裏儀式已依次拜四方者、其四方是起東也)、南向再拜、西向再拜、北向再拜、次於南座向山陵(毎陵両段再拜)、事畢開御屏風還御、所司撤御座等。
ときわめて詳しい儀式の作法が記述されている。(太字は呪文部分)
明治以降は、皇室祭祀令(明治41年(1908年)皇室令第1号)によって規定された。戦前は国の行事として行われて四方節と呼ばれ、祝祭日の中の四大節の一つとされていた。
皇室令が廃止された戦後以後においても、それに準拠して行われている。
戦後は「四方拝」と名を改め、天皇家の私的な行事として行われている。四方拝は代理人が祭祀を行う御代拝を認めていないので、天皇の体調が優れない時などは中止となる。
2009年初頭も健康状態が悪いことから代理が懸案されたが、タキシード姿という簡略化した形で執り行われた。

陰陽道を始源とするとも、中国起源を持つとも言われるが、明確な経緯を示す資料は無い。
陰陽道自体が中国の学問・思想・呪術・祭祀等を包括して体系化したものである為、日本に取り入れた中国の諸文化を元に日本流に昇華させた文化行事であると言われるが、私的には道教の影響が最も濃厚な祭祀であると判断する。

以上 文責 安部浩之

・無断転用を禁ず。

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 ●四方拝に関する動画

 
 
 

このテレビ放映で「過度」の解釈を「通過しますように」と解説されています(開始3分35秒あたり)。北野たけし氏もここに共鳴しています。(ただ、惜しむらくは、「過度」の「度する」の解釈、いわゆる「魔性への道筋をつけてあげる」も付加して欲しかったところです。)その他、多くの動画やサイトで、従来の解釈を脱却して、「四方拝」で高ヒットする本ページが参考になったのかは定かではありませんが、2009年のアップ以来、ネット上で一変して「通過しますように」と解釈され始めた事を嬉しく思います。本ページの文章を単純にコピーして検索されれば、100%同文もあり、多くのサイトで、無断転載されていることに気づかれるでしょう。調べたところ転載が転載を誘因し、最初の無断転載先が解明できない状況でもあります。無断転載に抗議してもはじまりません。むしろ、正しい解釈を敷衍してくれていることに感謝することにしましょう。

 

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