環境免疫学研究会トップ   ・ SASトップ ・ 質問ページ

Message from SHINKAI 2
 

 

心の乱れを

「なぜ? どこから? どうして?」

と、妥協することなく、また、たゆむことなく

さかのぼっていくと

そこには、必ず

嫉妬

という性根が横たわっている。

ここを見逃してはならない。



キリスト教は

「人は神の子なり」としつつも

魔界の性根をえぐることはなかった。


仏教でも諸悪の根源を、

「無明」とし、さらに、その「無明」は

渇愛(タンハー:tanhâ)に依るとしながらも、

タンハーを掘り起こしはしなかった。

 

ただ、仏教は暗示に満ちていた。

渇愛

愛に渇(かわ)く

愛に渇く?

何人も愛に渇いてなどいない

天は何人の上にも平等に愛を注いだ

それを「慈悲」といった。

にもかかわらず

「愛に渇く」とは?・・・・

この錯覚が嫉妬を産み出したのだ。

だから

全ての不孝を徹底してさかのぼるといい、

そこには必ず

嫉妬

が横たわっている。

そして

心しておくがいい

嫉妬を超克するのは

日々日常の「当たり前」に感謝する以外に

人の道はないのだと。

他のなにものも手段としてはならないのだと。