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より高くを見て、足下を実践する

 

「世界に餓死があろうが、水が汚染されていようが、私には直接、関係ない」

という意見に出会いました。

とても悲しい事がだと思いました。

小さな自分の周囲が豊かで幸福であれば、とりあえず明日の自分を見て生きていこう

というスタンスですが、実際は縦にも横にも小さな自分が大いなるフレームの影響の元にある事を知ら

なければなりません。

つまり、より高き位置に視点を置き、足下から実践する。という事が大切です。

簡単な図ですが、下図をご覧下さい。

まず、左図ですが

今まで、広くても日本だけを見ていたが、

より高き位置に視点を置くと隣国が・・・、世界が・・・見えてきて

そこには、予想もしなかった「水」さえも飲めない6分の1(10億人)の貧困層も見えてきた。

さらに地球に心を馳せると、太陽・水・土と地球の恵みに生かされていたことも解った。

すると、これまで、子供の水の使い過ぎに、

  「コラッ! 何してるの? お金がかかっているのよっ」

だったが、

  「大切な地球の恵み、感謝して大切に使おうね」

となります。前者は

  ・ 「金か〜、じゃあ、もっと沢山、金を稼げばイイじゃん。あ〜貧乏イヤだ」(子供)

  ・「それもそうね、もっともっと稼げる人間になるのよ、もっと勉強してイイ点数とらせなきゃ

                                 今の時代、やっぱり公務員よね〜」(親)

ともなります。

後者は

  ・ 「良く解らないけど、ありがたい、貴重な水なんだな〜」(子供)

  ・「そうよ、本当に感謝ね〜」(親)

となり、お金を超えて、思いやりで行動規範を正していく。

という方向に向かいます。このわずかなスタンスの違いが、大きな人間観の差を生みまだします。

 

次に右図ですが、構図は左と全く同じです。左の構図が家族にミクロに展開しています。

つまり、ご丁寧にも、天は地球に家族というグループワークをカラクリとして設置してくれているのです。

ここが、具体的な実践道場となっているのです。

しかし、ここを差し置いて、ボランティアだ、寄付だ、募金だ、セミナーだ・・・・・

に突進し、家族を破壊していくと、これは魔道となります。

魔性は、意識を高めさせ、夫婦愛や家族愛という根っこをえぐり取ろうとするからです。

例えば、子供の場合、学業こそ本文と勉強に勤(いそ)しんでいたが、視点を高くすると

「あれ、家族には、掃除や洗濯や・・・・・、いろんな事があって動いてる。

   私は、働けないから、お金は稼げないけど、風呂掃除くらいは、しなきゃね〜」

父親も「ゼニ稼げばイイってもんじゃない、オレも子育てを意識しなきゃ」

と、それぞれに助け合いの意識・構図が生まれます。

 

つまり、本題に戻りますが、環境運動とは、誰でもスグに家庭から始まるということです。

タイトルの通り

「より高くを見て、足下を実践する」

です。ここに視点を於いて、もう一度、家族を見つめ直して下さい。

そうすると、家庭は環境運動の実践道場に止まらず、環境運動を通して人間教育へと高まるのです。

宜しくお願いします。

 


 

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