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「魔法の○○」なんてありません

安部浩之作品No、080816
                                 文・Phot,Kohsi

世間には、よく「浄霊・除霊」などという言葉があります。

いわゆる霊の浄化や障りのある霊を外すという行為です。

よくテレビなどでも、マントラをあげたり、手をかざしたり、気合いを入れたり・・・・・

そして、除霊が終わると

「一体、何があったんですか。あ〜スッキリしました。有り難うございました。」

と、そういう光景を目にします。

これは「霊に通じた人」が、一般に言う霊的能力で取り外したものですが、

果たしてそれは、その人にとって有益だったのでしょうか?

下図をご覧下さい。

美しい例えではありませんが、フンがあったとします。そのフンは、悪臭を放ち、数時間もすれば

ハエがたかります。その光景に対して、手で追い払ったりすればハエは一時的に、

そのフンから逃げます。しかし、ハエがたかった当体であるフンは無くなっていませんから、

悪臭は存在し、再び、フンの周りにはハエがたかります。

これは、図の通り、フン=当人・悪臭=因果・ハエ=悪霊

という関係で、「浄霊・除霊」というものは、ただ表面的に悪霊を払うだけですから、

根本は何も変わらず、再び、その因果の法則により、悪霊がたかるのです。

仮に、完全にその悪霊(ハエ)を抹殺した。としても、その因果(臭い)は消えていませんから、

同類の悪霊(ハエ)がたかるようになるのです。

もし万一、「いいえ、その因果も消しました」という霊能者がいればそれはウソです。

なぜなら、悪臭なる因果はその当体(本人)から出たもので

本人の心の変革なくして消えるものではないからです。

本人の志(こころざし)が変わらない限り、その悪臭(因果)は放ち、同調するものを呼び続けるのです。

つまり、その結果、以下の現象が生まれます。

 ・1匹の悪霊(ハエ)を、外的な力で外す、を行うと、

  結果的には 伝播力が発生し、複数の悪霊(ハエ)がたかる。

 ・対象者に反省を促し、自己改革に向かわせるのではなく、エゴを助長させるので、

  ますます対象者がカルマ(業)を積み重ねる。その対象者に出なくても、孫子に増幅して現出する。

などです。また、当然、霊能者の側からの功罪も生まれます。

 ・良かれと思って行った除霊・浄霊が結果的に上記の顛末に終わるので悪因果を撒いたことになる。

 ・一時的に対象者に慕われても、実相から見ると、対象者の自省・行動力を遅らせ、惑わした事になる。

などです。つまり百害あって一利なしとはこの事です。

ですから良き霊能者ほど、霊能の片鱗でも出そうものならば、

不本意にも、教訓は消え、霊能の部分のみが増幅されて対象者が類を呼び、伝播するすることを

心得て、霊能を表には出さないのです。

ところが、ややもすると、霊能者は、己の霊能を出ししたくなるのです。

また、不思議と霊能を出さなければならない状況設定に向かい、スピリチュアルを期待する人たちに

囲まれ、小出ししてしまうのです。こうして大儀から外れ、傀儡(かいらい)となるのです。

 

では、なぜ、このような状況が生まれるのかというと、それが人類のカルマとして存在するからです。

人類1人1人の自業自得の結果の世」でありながら、

人々が、たやすく霊力で解決していただこうとする。

霊力に一目置き・讃(たた)え、異次元体験を特殊化し、そこに自己の決定的な存在を感じようとする。

その繰り返しを再び、今生の地球で再現しようとする向きが生じるのです。

だから、宗教団体に病気直しがはびこり、各種セッションが日常次元を離れ、

異次元へ向かおうとするのです。

今、美辞麗句を並べながらも、精神世界が一気にその方向に向かっているのです。

ですから、最近、出版界で、はやりの「魔法の○○」ブームも、そのことを象徴しています。

己(おの)が生活を省み、自堕落を反省し、自己変革を強いることなく、人の幸せを願うでもなく

「このお方につながっていれば、この言葉を繰り返していれば・・・・」

と「保身の恵み」にあやかろうとする。まさに、「困った時の神頼み」で、そこに魔性が潜むのです。

繰り返しますが、それは、長き命の流れから見るとカルマを積むだけです。しかも、スピリチュアルを利用

するばかりに、その罪障が重くなるのです。

高級神界に通じた霊能者は「気づき」しか与えられない。それが鉄則です。

「魔法の○○」なんて、この世にはないのです。

 

人類はここを脱却しなければなりません。

では、どうやって脱却するか?

本講座を愛読されている方は既にお気づきでしょうが、

地上の学びは次元を超えた霊能に拘泥しなくても

大自然なる環境をしっかりと「愛」をもって見つめ、そこに基軸をおく事で、

何の負荷(障り)もなく、「気づき」が生まれ、人格を磨き、と、これに勝る王道はないのです。

本講座のタイトルでもある「環境免疫学」という名称の意図はそこにあります。

ですから、本講座で紹介しているサインやトレーニング法、また動植物の生態などを、ヒントとして、

是非、日常生活を省み、

 ・ある時は、大胆に猛省し

 ・ある時は、大胆に自信を持ち

 ・ある時は、大胆に感動し・・・・

己(おの)が生活を1つづつ正してください。

よろしくお願いします。

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