人の幸せを祈る
 
靴には思念が残留しやすい
 

安部浩之作費No,110128
                           文・photo,Kohsi

 

既に他項でも触れた通り、一元世界から生じた、この物理空間では全て、

「反転する対極構造」で成立しています。

マクロはミクロであり、人体も同様です。その両端は頭と足です。

通常は、頭部で思念し、足部で動きます。「静」と「動」の関係ですが、

その反転が両極として発生しますから、

足部は思念の対極として思念が滞留しやすいのです。

そして、全ての滞留、気の停滞は不調和を発生しますから、循環させる必要があります。

一番早いのは、裸足で大地を歩く事です。足が大地に接地することでアースになります。

「うつ・不登校・認知症」など心理的疾患が、

 ・裸足で芝の上を歩いたり

 ・砂浜を裸足で歩いたり

これで快癒する理由もそこにあります。

私は、子供達のわがままが表に出、ぶつかり合いが多くなると、裸足で砂浜や芝の上で遊ばせます。

すると、その後には、不思議と

トラブルの原因などすっ飛んで、言葉が優しくなり、助け合いが始まったりします。

それは、どんな教理教訓よりも効果があります。

ところが、この流れよう、流れようとする残留思念を遮断し、停滞させるものがあります。

それが「靴」であり、

私達が身につけるものの中でも「靴」が最も思念を蓄積しやすいのです。

一般に霊能者と言われるような人たちが、

下駄箱や靴、玄関から指摘が始まるのは、思念のたまり場として、

どこよりも、そこが読み込みやすいからです。

悪質な霊能者になると、「あの黒い靴ですよ〜」と始まり、サプライズさせ→リピーターにさせ→

傘下に入れ、最後には、金銭を取ろうとします。言われても驚く必要はありません。

読み取りやすいところを指摘されただけです。

ただ、難しい事は別にして、ここでは、

「靴には思念が残留しやすい」

ということだけ理解して下さい。結局、

靴をそろえるとは、自分自身の思念を清冽させる

にも通じているのです。

さあ、今日も明日も、感謝で靴を揃えましょう。

 

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