人の幸せを祈る
 
感謝は邪気を昇華させる
 

安部浩之作品No,100511
                                                              文・photo. Kohsi


地球の現象には特徴があります。それは、

 ・表裏・陰陽と全てがペアを持って構成されているということ

 ・有機も無機も循環を持って生成化育しているということ

です。ですから、「連鎖せずに淀むもの」は、

この世では、例外なく腐敗性や毒性を発することになります。

これは、当然、魂の世界も同様です。

魂が止まるパターンとしては、自他の2タイプあります。

 ・ → 魂そのものが、この世に未練(欲)を残して、その欲を地上で果たそうとしている。

 ・ → 残された子孫が気になり、次のステージに旅立てない。

です。

上記「パターン」については、具体的には、一般にいう「憑依」という現象となります。

つまり、欲を果たそうと似た生命因子の人に取り憑くわけです。

例えば、

 ・殺してやりたいという念は、同じく殺してやりたい、という念を発している人と同調し、

 ・怠けたいという念は、同じく怠けたい、という思いを発している人と同調し、

憑依して「欲」を果たそうとします。こうして悪道はいよいよ加速されます。

2つ目の「パターン」は、自らの欲はないが、残された子孫などが気になって、

念をこの世につなぎ止めざるを得ない魂です。

これらに対して、従来、霊封じや鎮魂(交換条件よるお祀り)などが行われてきました。

しかし、これらは根本的な解決策ではありません。

たとえ、封じてもその意識体は残り、鎮魂も荒ぶるものを鎮めただけで因子を残しています。

他者による除霊も同様です。根っこは何も変わっていないばかりか霊能者の邪気を背負います。

つまり、一過性の対処療法だったのです。

しかし、根源が問われる現代では、これらの手法はカルマの増殖でしかなくなっています。

より高品位な魂に対するアプローチが望まれているのです。

それは、この地上で生きる者の「日々の感謝行」以外にありません。

粒子の粗いこの物理空間では、それが可能な空間となっているのです。

 ・自らの生活を律し、人格を高める事で、憑依霊も共に高まります。

 ・自らの生活を律し、人格を高める事で、先祖霊は安心して地上から手を放します。

これこそが、負荷のない抜群の対処法です。

 

先日、霊能者から「子供に悪い霊が数体、憑いている。」と言われ、どうしたらいいだろうか?

と悩む母親から泣きながらの相談がありました。その母親は我が子ながら「恐ろしい」、

とも言いました。そこで、次の3点を伝えました。

 ・我が子に感謝すること

 ・我が子の長所を見つめること

 ・我が子を愛念を持って抱きしめてあげること

そして、悪霊などは、この世ではウヨウヨしていて、心の置きどころ1つで

憑いたり離れたりを繰り返してる、何も病むことはない。母親が恐れる思いこそ問題だ。

と伝えました。

 ・親が子に感謝する。すると、子が親に感謝するようになります。(縦軸)

 ・親が子の長所を見つめると、子が親の長所を見、長所を展開するようになります。(横軸)

 ・そして、親が子を愛念を持って抱きしめると、縦横が連鎖し、強固になります。

これが「家族の助け合い」です。助け合いは、この世の特性です。

他項でも繰り返し述べていますが、身近な縦横を整えていく、この縦横が整うと四方八方に広がり

運が、八開するのです。

 

どうぞ、天地自然・四季のうつろい、から身近な家族にまで、

生かされている事を実感し、日々あたりまえ、に感謝する心を大切にして下さい。

それこそが、神社周りや開運グッズにも勝る、邪霊への対処法でもあり、

「感謝」こそ、大慈大悲の秘法でもあるのです。

 

質問メールを頂きました。

【質問1】(2010.5.14)

・・・・略・・・・「自らの生活を律し、人格を高める事で、憑依霊も共に高まります。」

と言うことですが、どうしてそうなるのでしょうか?憑依霊は一般には悪い霊と解釈していますので

共に高まるではなくて、離れるではないでしょうか?

【返事】

実際には様々なパターンがあるでしょうから、一概には言えませんが、地上に生きる人間が「志」

を変えるだけで、離れてしまうものもあります。

しかし、強い因果を持って憑依している霊は地上人の一挙手一投足を共にしており、地上人が昇格

する事で並行昇格するのです。

言葉を変えれば、天は言うわけです。

  憑依霊さん

  地上人が過去の自堕落を猛省・改心し、天意・天命に沿った生き方をしたときは、光が眩しく

  居心地が悪かったろう。にも係わらず、逃げることなく、運命を共にした事は良きに計らうぞ。

という事です。

いわゆる、この世は多層次元が地上人を軸として並行展開している。

という事です。

ですから、「悪霊が憑いた」というのは、地上人の因果に感応した別次元界が法則としてある。

というだけで、何も恐れる事ではなく、日々の生活を通して

 ・まず、早起きする。とか

 ・まず、家族に挨拶をする。

というように、1つ1つ・1歩1歩、己の性根を正していくしかないのです。

霊も、根っこでは、この法則に「回生」の望みを託して憑依している訳です。

ところが、この主客を間違えて、不運・不孝を「霊のせい」にし、悩んでいると、全ての悪事が

地上で露呈してしまうのです。地上人の我欲と悪霊の我欲がスパークし翻弄される、と言っても

良いでしょう。

結局、憑依霊の事など、意識さえせずに、知らずに・・・・、

感謝・誠実を旨として、日々の努力を惜しまなければ、霊はそれにしたがい、

地上人も最短で運を開く、ということです。

 

【質問2】(2010.5.17)

私も過去に、家族ではありませんが、ある霊能者に「家に問題がある」と言われ、

家の「お祓い」をしてもらった事がありました。それ以来、時々アドバイスをもらっていますが、

こういうのは問題あるのでしょうか?

【返事】

あります。何度「お祓い」をしても、住人の心が変わらない限り、一時的に邪霊を祓っても

繰り返すだけです。

のみならず、以下の問題が生じます。

 ・ 霊能者への依存心を強くし、問題の所在を自身に問い、自省の姿勢が薄くなる。

 ・ 自分の幸せのみの追求心を産み出しやすく、助け合いから離れ、新たな邪霊を引き寄せる。

 ・ 本人の気づきによることなく、

  異界(霊界)操作によるコントロールは、天法に反するので、霊能者の罪障を背負う。

などです。

時代は大きく変わっています。異次元界も変化しています。

人の心(心性)という本質が問われている現代に、テクニックによるコントロールは罪障

を産み出すだけです。お祓いをしてもらうと、一気に事が解決したような気分になりますが

土地の因果(空間)・先祖の因果(時間)・・・など、縦横の因果によって邪霊も縁した

のです。ですから、

現住まいに、例えどんな邪霊がいようとも、大地をお借りし、また、そこに家があることで、

風の流れを遮断し、雨の浸透を邪魔し、と天地の巡り(生態系)を崩している。

よって、

まず、天地自然に対する懺悔、そしてそこに住まわせて頂き、地上に命を止まらせて頂いている。

そこに日々、感謝することです。夜、目を閉じる前にジッと天井を見つめ、そのことを想って下さい。

それに勝る「お祓い」はありません。

霊能のある方は特に、異界の力を示現することで、時として感涙され・・・感謝され・・・・、

そこに存在価値を見いだし、「お役に立った」と思われるかもしれません。

しかし、それは魔界のワナです。

依存心という惰性を人に増殖させてしまい、天法違反となります。

どうぞ、人々に、良き「気づき」を与える・・・に撤して下さい。宜しくお願いします。

 

【質問2】(2010.5.18)

・・・略・・・霊能という程ではありませんが、ある協会のセミナーに参加し、協会の資格ももらい

遠隔で手からパワーを送るなどしつつ、現在はヒーラーとして生計も立てています。

協会の進める「感謝の五原則」を実践し、実際、多くの方に感謝され、生き甲斐も感じています。

これも問題ありますか?

協会は・・・・・・後略・・・

【返事】

そのトップにも、手法にも問題があります。

可能であれば、そこで頂いたお金は全てお返しして下さい。

お客様が遡及できないのであれば、相当額を寄付する事で軽くなります。

そして、新たな収入の糧を探ってください。そして、その新たな生活の陰で

コッソリと出会った人の幸せを祈れば良いのです。エネルギーは天地の巡りに応じて自然と

どこにも巡っているものです。その人の意識に応じて巡るのが、周囲にも子孫にも負荷を残し

ません。エネルギーを飛ばす必要などないのです。

 

【質問2】の方からの更なるご質問(2010.6.9)

例えば、聖書を見てもキリストも多くの奇跡を見せ、また日本でも多くの教祖といわれる方々が

奇跡を現し人を導いています。奇跡は必要だと思うのですが・・・(後略)

【返事】

混同しないで下さい。奇跡は「その人を幸せに導くために」やむにやまれぬ手段として

キリストも使いました。「お金」を取ったりしていません。

対価を取った瞬間からそれは魔道となるのです。

日本でも多くの教祖が・・・・

ということですが、だから多くの教祖が、魔界へ多くの人の導いてしてしまったのです。

そして、集金のために奇跡を見せざるを得なくなっていったのです。

 

一方、人の幸せを願って、奇跡を見せざるを得なかった

そして、そしてその結果として「お金」を頂いた。これは、善行が先ですから

まだ許されますが、最初から「お金は・・円です。どうします?」

というのは問題を生むのです。異次元の力を現実界でお金に換金してはならない

ということです。現実界の努力に応じてこそ「お金」が流通するべきなのです。

 

ウィンドウを閉じる  

(SAS総目次 へ

 感想メール