人の幸せを祈る
 
1日の始めを感謝と回向で始める

 

安部浩之作品No,090821
                                  文・Phot,Kohsi

 

物事は全て、最初に大きく左右されます。

また、人生は日々の積み重ねですから、日々の最初をどうスタートするかは

とても大きな要素と言えます。

このスタート地点が、少しでも、ズレているとその延長線上のズレはいよいよ大きくなります。

では、どういうスタートが良いのか?いうまでもなく

「感謝に始める」

という事です。

地球は全て「循環」により成り立っています。

「循環」ということは、言葉を変えれば「因果が絡み合って寄り添っている」という事です。

さらに言葉を変えれば

お陰を蒙(こうむ)って存在する1人1人の命

だという事です。

とすれば必然的に「生きている」ではなく「生かされている」ということにも気づかされます。

この差は大きなものがあります。

「生かされている」という言葉の根底には「循環」という事実が横たわっているからです。

ですから、目覚め後の第一歩は生かされているという「感謝」でスタートすべきです。

最近の「ありがとう」ブームで各所で叫ばれている通りです。

しかし、ここで終わるべきではありません。

「循環」の法則に従えば、その感謝を他へ巡らす事で、「感謝」はいよいよ天意に沿います。

つまり

「今日も1日、命を頂き、生かされています。

   この命を通して、1人でも多くの人の役に立ちますように」

という願いです。

「大愛」により、生かされている命であればこそ、他を活かす命として輝く

ということです。

この後半が欠けると理に沿わないために「ありがとう」が一過性のブームで終わるのです。

ところで、僧侶が宗派を超えて法要などで唱える偈文があります。

それは、「回向文(または回向偈)」といい

  「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」 (※下記 注1)
                   『妙法蓮華経』巻第三「化城喩品第七」 鳩摩羅什訳(『大正新脩大蔵経』第9巻 P24。
 

というものです。簡単に言えば、

自分の善い行いやその結果が、他に向って回(めぐ)らされますように、と自分の積み重ねた善根功徳を

他に振り向けて与えることを言います。

この発想です。

 

また、植物をよくよく見つめて下さい。

植物は、太陽・水・土・・・と、多くの恵みを受けて、

生育の結実として、福徳の象徴のような、美しい花を咲かせます。

その花(福徳)は、昆虫に蜜を与え、受粉し、子孫を生み出します。

福徳なる花が、「巡り」の任を負っているのです。

つまり、自然界はこういう福を巡らすという法則のもとに動いているのです。

 

 ・朝目覚めた時、

 ・一番にデスクに座ったとき、

 ・一番にハンドルを握った時・・・・

など、ぜひ最初の取り組みにおいて、

「今日も1日、命を頂き、生かされています。

   この命を通して、1人でも多くの人の役に立ちますように」

と感謝と回向の発想を取り込まれて下さい。

 

福徳を、我が物にし囲えば、福徳は、腐敗に向かい、

                   福徳を、巡らせば、蘇生・増殖へ向かうのです。

 

※注1
浄土教系諸宗においては、浄土三部経を正依の経典としているため、「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」 - 『観無量寿経疏』「観経玄義分 巻第一」 善導撰述(『大正新脩大蔵経』第37巻 P246。) が用いられる。

 

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