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童話 神様のキャンパス 2


                          


神様は毎日毎日、その絵を眺めるのが楽しみになりました。
人間はとても賢く、多くの生き物と共に生きました。
数が少なくなって
   無くなりそうな生き物を保護して子供を育てたり、
同じく無くなりそうな植物に手を貸し
   それぞれの生き物が絶えることないように
        種植えや水やりをしました。
そして、神様は
人がお世話を通して学び、優しさが「愛の力」となって
       子どもが増えることをとても喜んだのでした。

また、多くの星々の雛形(ひながた)を
このキャンパスに宿し、
人間達の助け合う姿を無心で歓びました。

こうして
神様は絵を見る度に、人間の姿を
我が子のように感動をもって眺めました。
その嬉しさのあまり、
時に人間に声をかけ、
    人間もその声を聞き会話を楽しみました。
その後、その役を天使に任せ、取り次ぎとしました。
神様は、キャンパスの中に
人の力を超える天使達を描き、お世話をさせ
12本の目に見えない糸で神様と人をつなぎ、
強く・固い「きずな」としたのでした。

ところが
ある事件がおきたのは天使達が絵に登場して間もなくでした。
それは神様にとっても人間にとっても、
     また天使にとっても悲しい出来事でした。
それが最も大切ものを落としめる事件だったからです。
神様は、胸をかきむしり、絶叫し、
  苦しみは天空に響き、大地を揺るがしました。
その言葉を超えた苦悩を詩にし
悲しく・・・悲しく・・・
何度も口ずさみ、
自らの胸に、深く刻み込んだのでした。

ヨアケノバンニ ツルトカメガ スベッタ・・・・

これ以来
人間と神様をつないでいた糸は2本になり
つながりが「ゆるく」なってしまいました。

この事件で、神様は、キャンパスを眺めるのが
あれほど楽しみだったのに
もう、涙なくしては見れない絵となってしまったのでした。
気になるばかりに、逆に
1日として・・・1分1秒として、
絵から目が離せなくなりました。

しかし、人間の心は苦海を彷徨(さまよ)いながらも神様を晴れやかに忘れ、舞い上がり、ついに「お金」をつくりだしました。
その「お金」があだとなって
動物や植物のお世話をするどころか「お金」のために利用しはじめました。
時としてお金のために人の命を利用することもありました。
また、水や空気や土までも、「お金」のために
     何のためらいもなく、平気によごしていきました。
そして、あろうことか
     人間同士が殺し合いをするようになったのでした。
それはもう悲しみの極みでした。
人間は神様の悲しみをうかがい知ることなく、
世代を重ね、自分の富を追いかける生き方が
当たり前かのごとく錯覚していったのです。

それでも
神様は、かろうじて繋がっている2本の糸で、
渾身(こんしん)のメッセージを送りましたが
すでに人はそのメッセージを聞く耳を持ちませんでした。

こうして、キャンパスは、
神様にとって涙なくしては見れない
悲しい絵図となってしまったのでした。

かくして、
刻々と神様の限界が近くなっていったのです。  (つづく)

                            安部 浩之 作