人の幸せを祈る
 
異質が混ざるとハイブリッド化し、ポテンシャルが高まる
 

安部浩之作品No,110209
               文,Kohsi Photo,DAJ

 

地球があって、そこに生命が育まれ、命があって、私たちの生活は、成り立っています。

この「当たり前」に気づくならば、私達の生活つまり「幸せ」は、地球(自然)や生命の現実を無視しては

成立しないということを理解しなければなりません。

では、生命はどのようなプログラムで存在しているかというと、

下図をご覧下さい。

若干、以下に説明すると

  ・ 命は「相」と「性」の2面で見る。(仏教では十如是の内「如是相・如是性・・・」と表現した。)

  ・「」とは、見える世界・外相、「」とはその内にある性質・性分。

  ・「相」は陰極にあたり、膨張の相を示す。いわゆる、体細胞分裂して増殖する。

  ・「性」は陽極にあたり、収縮の性を示す。いわゆる、攪拌(かくはん)し混ぜていく。

   いわゆる、染色体がそれぞれに異種交配し、遺伝子重複するシステム。

となります。

結局、生命は、形(相)としては体細胞分裂し増殖しながらも、内(性)では遺伝子を重複させている。

ということです。では、なぜそういう生命プログラムになっているかというと

  物理世界では、増殖により、生命が維持され、

      異質(異種)の遺伝子が混ざるとハイブリット化し、ポテンシャルが高まる。

という性分がそこにあるからです。さらにスゴイことに人間の場合は、植物(自家受粉・他家受粉)や

昆虫・動物(周期的な発情期)と違い、

受精(異種交配)が、「愛」という情念により成立するということです。(これに関連する自作童話はココ

私達は、この「当たり前」かつ「スバラシイ」生命システムを無視しては、現在の生活も成り立たないし、

「幸せ」は、このシステムの上にこそ発生するのだという事を理解しなければならないのです。

言葉を変えて言えば、異質の生命が混ざるシステムが人間社会であり、

この構図が日常生活のあらゆるシーンで毎日、日常茶飯に展開しているということです。

だから、「挨拶」とは、この異質を混ぜ合わせる入口のシグナル、スイッチだというのです。

コミュニケーションにより人が命を躍動させる理由もここにあります。

私事ですが、昔、教職の現場にいたとき、よく学校で挨拶運動というものをしました。すると、生徒から

  ・「挨拶運動」とかで、挨拶を強要しないでほしい。

  ・挨拶なんて、したい人がすればいい。

  ・挨拶しなくたって誰にも迷惑をかけていない。

  ・挨拶をしなければならない義務なんてない。

  ・挨拶めんどくさい、挨拶する方がストレスになる。

  ・挨拶をするしないは、個人の自由だ。そもそも、なぜ挨拶しなければならないのか解らない。

というような発想をする生徒がいました。そこで、改めて「挨拶運動」でサイト検索すると、

やはりそういう意見がゴロゴロと出てきます。生命の現象・実相から見ても、これではダメです。

生命に違背しているのです。

しかし、これを単に「ダメだ」と突き放してもいけません。

本質を追究しようとする人の悲鳴でもあるのです。

ですから、家庭も学校も企業も、それぞれの組織団体も、挨拶運動をするのであれば

「なぜ挨拶をしなければならないのか?」

を生命の姿を通してキチンと語る必要があります。そうしなければ一過性の強要に終わってしまうのです。

事実、大半がそうなっています。

 

繰り返しますが、どうぞ

 生命とは、異質を混ぜるシステムであり、

     「挨拶」とは、この異質を混ぜ合わせるスイッチである。

ということを理解して下さい。宜しくお願いします。

 

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